
沖縄戦終盤の摩文仁の丘
日本軍の司令部壊滅
- 日本第32軍の司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将は、この摩文仁の丘近くの洞窟(壕)に司令部を移動していた。
- 1945年6月23日未明、両名はここで自決(自刃)し、沖縄戦の組織的戦闘は終結した。
- この日(6月23日)は現在の沖縄県において「慰霊の日」とされ、戦没者を追悼する日となっている。
民間人の犠牲
- 日本軍は「軍民共生共死」の方針のもと、住民とともに壕に避難することが多く、多くの民間人が戦闘や自決によって命を落とした。
- 軍の命令や周囲の雰囲気から、「捕虜になるくらいなら死を選べ」という心理が広まり、集団自決に追い込まれた地域もある。
米軍の猛攻と地上戦の激化
- 米軍は沖縄本島南部に向けて進軍し、摩文仁の丘周辺でも猛烈な砲爆撃・地上戦が展開された。
- 地形的に高地である摩文仁の丘は、日本軍の防衛拠点でもあり、激戦地となった。
「平和祈念公園」の主な施設と見どころ
沖縄県糸満市に位置する「平和祈念公園」は、沖縄戦の終焉の地である摩文仁の丘に広がる、戦没者の慰霊と平和の大切さを伝えるための公園である。摩文仁の丘は、1945年の沖縄戦終盤において、日本軍の司令部が置かれた場所であり、多くの民間人が巻き込まれた激戦地であった。
琉球政府時代に整備が始まり、1972年の本土復帰後に本格的な都市公園として整備が進められた。現在では、国内外の観光客や修学旅行生、慰霊団などが訪れる沖縄の重要な平和学習・観光スポットとなっている。
平和の礎(いしじ)
沖縄戦で亡くなったすべての人々の名前が刻まれた慰霊碑。国籍や軍民の区別なく、約24万人の名前が刻まれており、平和への願いを込めた象徴的な場所となっている。
平和の火
「平和の礎」の中央に設置された火は、沖縄戦の犠牲者を追悼し、恒久平和を願って灯されている。この火は、世界の平和を祈るシンボルとして、多くの人々に親しまれている。
沖縄県平和祈念資料館
沖縄戦の実相を伝えるための資料館で、戦時中の写真や遺品、証言映像などが展示されている。訪れる人々が戦争の悲惨さを学び、平和の尊さを再認識する場となっている。
国立沖縄戦没者墓苑
摩文仁の丘の上に位置し、沖縄戦で亡くなった人々の遺骨が安置されている。静寂な空間で、戦没者への追悼の意を表す場所として、多くの人々が訪れる。
沖縄平和祈念堂
平和祈念像が設置されており、平和への祈りを捧げる場として整備されている。また、敷地内には蝶園もあり、自然と触れ合いながら平和について考えることができる。
公園の利用とアクセス
- 所在地:沖縄県糸満市字摩文仁444番地
- 電話番号:098-997-2765
- アクセス:那覇空港から車で約40分。公共交通機関を利用する場合は、那覇バスターミナルからバスで約1時間。
- 開園時間:年中無休(施設によって異なる場合があります)
- 入園料:公園内は無料。資料館など一部施設は有料。
平和祈念公園は、戦争の悲惨さと平和の尊さを学ぶことができる貴重な場所である。訪れることで、過去の歴史を知り、未来への平和を考えるきっかけとなるだろう。
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